授業の制度を変える(Twitterより)
Twitterから気になるツイートを紹介します(不定期)
①算数の授業の中で、練習問題をさせる場面を考える。そのとき、単に練習をさせるのではなく、①を終えれば、「次はどんな問題になると思う?」と問う。子供達は、次の問題を①を基にして予測する。そういう思考の訓練が大切になる。練習問題を課して機械的に解けるようになることを目的としない。
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
②塾等で知識を先行させている子供に限って、「自慢気に答えを口走る」ことがある。それは、確かによくないことかもしれない。しかし、その状況は、明らかに一部の子供にとってはつまらない授業になってしまっていることを意味している。だからこそ、「次の予測」が効果的になる。
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
③単なる知識先行の子供であれば、次の問題をうまく予測できない。そこには、論理的な思考と周りへの思いやり必要となるからだ。「今の問題を基にすると、次は、分数のたし算なんだけど、答えが約分できる問題になった方がいい。そうすれば、みんなにとっていい練習になるはずだ」、そういう思考。
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
④問題が飛躍すれば、「もう1つステップを刻もうよ」と言えばいい。しだいにステップの刻み方を習得していく。筋道立てて考えることができるようになっていく。「答えを口走っていた子供」が変容する。答えを自慢するのではなく、ステップを刻み、他の仲間の役に立つことに興味をもつようになる。
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
⑤練習問題の続きを考える習慣が身についてくれば、次は、「問題文の続き」を考えさせていく。問題文を書いている途中、ある部分でストップする。そして、「この続きはどんな文が続くと思う?」と問う。または、「このりんごの数は何個にしようかな?」と数を問うようにする。
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
⑥文の続きを考えることができることは、つまり、場面がイメージできているということになる。文章問題は、この「イメージできること」が大事になる。また、「数値」に意味を持たせることができるというのは、問題のポイントをすでに理解していることになる。子供は、「待ち」の姿勢でなくなる。
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
⑦子供達に話した。授業における算数の力って、「説明できること」「次の練習問題をつくることができること」「問題文の続きを考えることができること」になってきたね、と。つまり、これらは、論理的思考力の育成を意味している。もう1つ、授業で大切にしていたことがある。
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
⑧それは、説明の中に、必ず「質問を入れること」だ。例えば、長方形の面積を求める場面であれば次のようになる。「この図形は長方形ですよね。まず、縦は何cmですか?(3cmです)はいそうですよね。横はどうですか?(5cmです)はいそうです。…
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
⑨では、面積の公式をつかうと式はどう表されますか?(3×5で15です)はいそうです。…」、このような感じになる。子供達に「質問を入れること」を約束すると、まずは、「答えはいくらになりますか?」との質問になる。まずは、それでいい。次の段階を教える。「今度は式を尋ねてごらん」と。
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
⑩そして、「この問題を解くためのポイントはどこだと思いますか?」という質問を教えたり、「今度は自分で質問を工夫してごらん」と子供に質問を考えさせたりしていく。そうすることで質問の「質」が上がっていく。ここで、算数の力が1つ加わる。「質問できること」が追加となる。論理的思考力。
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
⑪僕が大切にしていたことは、子供が、算数をつくる過程に対し、自ら働きかける姿だ。問題を正確に処理できるようになったとしても、それは算数に働きかけたことにはならない。受動的積極性の範疇。学校だからこそ、あーでもないこーでもないと言いながら、算数をつくることができるんだね。
— Yasuo Nakazato (@yaozat) 2014, 3月 23
「練習問題の続きを考える」ことや「問題文の続き」を考える、といったことを通して、ただ「問題を正確に処理できる」ことをめざす授業から、制度を変更していこうとする試みだと思います。国語科の場合は、どのように制度を変えることができるだろうか? ということを考えました。(冨安)